『学問のすすめ』あらすじと読書感想文の書き方の例

hukuzawa

こちらのページでは、ご存じ福澤諭吉の『学問のすすめ』現代語訳版の紹介です。

一言でいえば、今の時代に読んでもその凄さが分る内容
ホントに「名著」です!

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とても明治時代の人間のアドバイスとは思えないほど、その内容が現代的であり、啓発される内容です。当時の超ベストセラーというのもうなずけます。

こちらでは、おもに中学生高校生が、1200字1600字2000字(原稿用紙3枚4枚5枚程度)の読書感想文を書く際に、参考にしていただける内容にしていますが、大学生や社会人の方もご活用ください。

また、啓発書や教育書といったジャンルの本ですので、情緒的な文学作品は読むのが苦手という人には、特に「超おススメ」の一冊です。ストーリー物の本ではないため、前後のつながりや登場人物が分からなくなるといった心配もありません。

タイトルの通り「学問をすすめている本」ですから、学校に提出する読書感想文用の本選びとしても最適です。是非!

~~目次~~~~~~~~~~~~~~~
『学問のすすめ』あらすじ(概要)
『学問のすすめ』の名文集
『学問のすすめ』読書感想文の例

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『学問のすすめ』あらすじ(概要)

『学問のすすめ』の音声版も、いろいろ売られており、私は複数所持していますが、西村不二人さん朗読による現代語訳(三笠書房)の音声版が最も啓発されます。

本の価格と変わらない値段で売られていますので、私としては、本より音声版をおすすめ いたします。変な自己啓発セミナーに高額を支払うより、遥かにためになります!(デール・カーネギーの大名著「人を動かす」および「道は開ける」と同様にホントにおすすめです)

『学問のすすめ』の全文朗読版
(音声のサンプルが聴けます)

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日本における啓発書の古典ですが、福沢諭吉の「学ぶことの大切さ」に対する熱い思いが、ビシビシ伝わってきます。

ここでは「あらすじ」をお伝えすることになっていますが、啓発書のジャンルの本ゆえ、この本に関しては、次の「名文集」のコーナーで、福沢諭吉の指摘のいくつかをご紹介いたします。

この手の本の感想文を書く場合、読者の心に刺さった指摘をいくつか取り上げ、それに一つ一つ感想を述べることで感想文は書けます。取り上げる指摘の数を調整することで、文字数も調整できるため、比較的感想文を書きやすいジャンルの本だといえます。
 

『学問のすすめ』の名文集

以下は、私が「これは!」と思えた部分を要約したものです。ご覧いただければ分かるように、学びの大切さを、一個人の成長のためばかりでなく、社会全体への影響とからめて説明している点がすばらしいのです。明治の日本の躍進にこの本が影響したのだと思わせるに十分な内容です。まさに近代日本を作る原動力となった「名著」です。

人は生まれたときには、貴賎や貧富の区別はない。ただ、しっかり学問をして、物事をよく知っている者は、社会的地位が高く、豊かな人になり、学ばない人は、貧乏で地位の低い人になるということ。

自由とわがままの境目は、他人の害となるかならないか。自分のお金を使って自由に、やりたい放題やっていいわけではない。やりたい放題は、他の人の悪い手本になって、やがては世の中の空気を乱してしまい、人の教育の害にもなる。その罪は許されない。

士農工商それぞれの責務を尽していくことが大事。それぞれの家業を営むことで、個人的に独立し、家も独立し、国家も独立することができる。

人民は長い間、専制政治に苦しめられたので、政府をごまかし、偽って罪を逃れようと、不誠実なことが日常習慣となった。政府は、その悪習を改めようと、権威をかさに威張り、叱りつけ、人民を誠実にしようとしたが、かえって人民を不誠実に導くことになった。

中国人は、自国より国がないように思い、外国人を見れば、「夷狄」と呼び、これを嫌い、自分の力も客観的に把握せずに追い払おうとし、かえって「夷狄」に苦しめられている。その現実は、国として身のほどを知らないところからきている。

国民がみな学問を志して、物事の筋道を知って、文明を身につけるようになれば、法律もまた寛容になっていく。法律が厳しかったり寛容だったりするのは、ただ国民に徳があるかないかによって変わってくるもの。

法律をつくり、悪人を罰し、善人を守る。これが政府の「商売」というもの。この商売には費用がかかる。百姓や町人から税金を出してもらって、その財政を賄おうとする。この「政府と人民の取り決め」が、すなわち「社会契約」である。

ある国の暴力的な政治というのは、暴君や官僚のせいばかりではない。その大元は、国民の無知が原因であって、自ら招いた禍とも言える。

独立の気概のない者は、必ず人に頼る。人に頼る者は、必ずその人を恐れる。人を恐れる者は、必ずその人にへつらう。常に人を恐れ、へつらう者は、だんだんそれに慣れ、面の皮が厚くなり、恥じず、論じず、ただ卑屈になるばかり。

自分が楽しいと思うことは、他人もまたそれを楽しいと思うのだから、他人の楽しみを奪って、自分の楽しみを増すようなことはしてはいけない。

政府が法律を作るのは、悪人を防いで善人を保護し、社会をきちんと機能させるため。学者が本を書き、人を教育するのは、後輩の知識を指導して、社会を保つため。

金が好きなのは人間の本性。その本性に従い、これを十分に満足させようとするのをとがめられない。だから、金を好む心の働きを見て、ただちに欠点としてはいけない。ただ、限度がなく、道理を外れて、金を得る方向を誤り、道を踏み外すのは、欲張り・ケチ。

驕りと勇敢さ、粗野と率直、頑固と真面目さ、お調子者と機敏さはペア。どれも場面と程度と方向性によっては、欠点にもなるし、美点にもなる。ただ一つ、どの働きにも欠点一色なのが怨望。怨望の働き方は陰険で、自分も得にならないし、他人に害を与えるだけ。

心が高いところにあって働きが乏しい者は、常に不平を持つ。自分にできるような仕事は自分の心の基準に満たないので、仕事に就くのを好まない。かといって、理想の仕事にあたるには実力が足りない。そして、その原因を自分に求めようとせず、他を批判する。

物事を軽々しく信じていけない。また軽々しく疑うのもいけない。信じる、疑うには、取捨選択のための判断力が必要。学問は、その判断力を確立するためにある。

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『学問のすすめ』読書感想文の例

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■原稿とペン『学問のススメ』を読んで(1794文字)

学問とは一体何か。学問とは大学の専門的知識やノーベル賞を取るような高度なものであると憧れていたが、この本を読み、今初めてそれは身近に考えるべきものだと分かった。

私は学生でありながら学問とはなんぞやという問いを一度もしたことがなく、この本から十分に反省させられた。

「日本にはただ政府ありて未だ国民あらず」の本書に出てくる言葉通り、外国との交際を閉ざした当時の日本の人民は、政府に飼われた家畜的存在でしかなかった。

この本の中で、諭吉は、当時の人民に、人間平等、科学的精神、文明国としてのナショナリティを唱えた。そして自由民権運動が発足し、一方では福沢が家畜的人民でしかない人間を真の人間となすための教育の必要性を痛感し、国を治める者を教育する学問(儒教)でなく、治められる者を教育する「実学」を広く世間にすすめた。

「愚民の上に苛き政府あり、良民の上には良き政府あり」。学ぶことで愚民が良民となり、愚民が誇り、義務を知り、政府と国民が一体化した国家を作り上げねばならぬ。そして、国民の手で国を発展させねばならぬ。今日の学校教育の目的もそこにある。

だが学校の実態を探ると別の方向へ行進している様な気がする。習う教材を自分と関連づけてこそ現代流「実学」が生じると思うが、私達は入試に必要な部分を重視し、自分の実学を軽視している。これでは入試に役立っても自分には無益である。学生も学校側も入試を重視しすぎる。

学生だけではない。大人達も考えるべきだ。学問は、虚栄心を満足させる程度のものであってはいけない。

学問とは「思索すること」だと考える。それを一番強く痛感すべき者は今日の大人達ではないのか。義務教育制があまりに完璧にすぎ、目的が損なわれ、大人の手、学生の手でゆがめられてしまった。

文明開化を口々に唱えた明治から約百五十年、大進歩を遂げた日本に残る課題の一つである。親も教育者も学生も、謙虚な態度で学問を根底から追求すべきではないか。福沢は現代人に「学問への正しい道」をすすめている。

『学問ノススメ』が「過去に例をみない稀有の書」と言われるほど、当時の日本人に愛読されたのは、その思想が万民に受け入れられたからだろう。

ただし福沢は思想家であり、すぐれた教育者でもあった。また、福沢は愛国精神の人でもあった。そのため、その愛国心・報国心が福沢自身意識しながら国粋主義と化していったことに私は反発を覚えた。

時代の違いからくるものかもしれないが、平等精神を唱え、世界見識も広い人が個人感情に溺れたことは許し難く、この考えが明治以後の戦争という不幸を招いたとしても過言ではない。政治の執行者・思想家は常に冷静な態度で世界を凝視し、正しい日本国独立を目指すべきと考えるからだ。

すべてが完全な人間はこの世に存在しないが、諭吉には、学問をすすめる人として、その後の国の進路が、間違った方向に進まないよう意識的に指導して欲しかったと悔やまれる。

学問の根本は「疑うこと・探求すること」ではないのか。だが、現代の学問は「信じること」を良しとする風潮がるため、今日の日本人は「疑」を知らず自己満足し、人々は真の学問を見失い、ただ指示をまつだけの人間へと洗脳されているのではなかろうか。自分の無知や愚かさを常に自覚し、永遠に探求する人こそ真の学問を修めた人だと私は思う。

また、福沢は実学と共に、高尚な学問をすすめている。その高尚な学問こそ現代の学問である。デカルトは「人生に有用であると同時に喧・認された認識」を求めたが、彼によれば学問は道徳(知恵)でもあった、私達も有益な人生の知恵を学問から学び取るべきではなかろうか。

人の歩む正しい道を、他人を理解し互いに幸福を高める知恵を学ぶべきではないのか。現代には、学問の専門知識に将来への夢をもつ人もいる。普遍的真理を探求し、ブッタのごとく我執を追放し理想的人間像を作り上げる人もいる。

そして、みずから個人の、世界の、人類の、幸福を求めている。だから人は、学問を「宝の持ちぐされ」としないで、実学同様、人生に、社会に、貢献させるべきである。

この本は単なる学問のすすめでなく「人間の心得」が示されている点もすばらしい。学習は、理論が実践された時初めて本物となるもののはず。私はこれからの人生を『学問のススメ』の教えを心に携え、自らの理想を目指し実践する人でありたいと思う。
 

※一生に影響を与えるような「運命的な本」に出会えた人は幸いです。
「ぶれない考え方」を与えてくれるような良書に出会うためには、たくさんの本を読むことです。
読書を習慣にしましょう。管理人からの「学問のススメ」です。

「時間がなくて本が読めない」と嘆く人がいます。
しかし、そういう人に限って、カバンの中には本がない・・・

まずは、いつでもカバンの中に一冊、新書や文庫本を入れておきましょう。

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